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【第2回】「終わりなき苦しみ」に纏わる小噺

『Everlasting Burden』――「終わりなき苦しみ」、転じて、「輪廻」。
この曲を皮切りに、僕たちの物語は始まった。
 
********

この『Everlasting Burden』は、僕たちArtøgic Geminiが結成してから一番最初に書き、リリースした曲です。

僕たちをひとくちで体現するような印象の曲にするため、
Lutoが得意とする、どこか懐かしく切ないメロディとシンセ、
Caloが慣れ親しんだEDM要素を含む曲調に、
文芸と科学の融合ともいえるサイエンス・フィクションの壮大な世界観を歌詞として織り込みました。

サイエンス・フィクションという側面もあり、専門用語満載で非常に理解し難い世界設定なのですが、
今回はその断片を、歌詞の意味とともにご紹介しようと思います。
 
********
 
僕たちが生きるこの世界は、
どのようにして生まれ、どんな原理で存在し、
そして僕たち自身は、何故生きているのか。

僕は幼少の頃から取り憑かれているこの疑問に、
常日頃から何らかの答えを見出そうとしていました。
つまり[万物の理論]を求めてあらゆる文献を漁り、浅学ながら思考実験や独自研究を行ってきたわけですが、
その過程で生まれたのが、『Everlasting Burden』乃至ほかの楽曲の物語が編まれる舞台となった世界です。
特に『Everlasting Burden』には、この世界の軸となる要素を入れ込んで、まさしく僕たちを代表する楽曲となるように仕上げました。
 
『Everlasting Burden』は[輪廻]と意訳します。

輪廻の英直訳は"reincarnation(a cycle of reincarnation)"ですが、
"reincarnation"からは[輪廻]のインド哲学的な意味である
「繰り返される苦しみ」「解脱への旅路」のニュアンスが感じられませんでした。

そのため、直訳よりもインド哲学における輪廻のニュアンスの方を尊重してタイトルを付けた次第です。
 
[インド哲学]というと堅苦しい気がしますが、我々日本人に一番馴染みがあるのは仏教ではないでしょうか。
日本の仏教は元を辿ればインド哲学です。
インド哲学を内包する[ヴェーダ]から成立した、神々や祭式を重視する物語的・形而上的なバラモン教などの宗教に対し、反旗を翻したのが当時のインド仏教、日本で言われるところの[原始仏教]でした。
原始仏教は、インド哲学をベースとしながらも、神話に靡かず、どのようにすれば苦しみである[輪廻]から解脱できるのか、といった、形而下的な、机上の空論ではない実践的手法を説いたとされています。
今日の日本の仏教は、原始仏教が紆余曲折を経るなかで改変されたものが輸入され、更に日本風にアレンジされたものです。

僕は「もっともらしい世界のシステム」を構築し、その上に物語を描きたかった。
それゆえ、[世の理]を扱いながらも、ファンタジー或いは胡散臭いモチーフを避けつつ実存のものとして[輪廻]を表すため、
神話を忌避した原始仏教を出発点に、
物理学のひとつである量子論的観点を取り込み、
超弦理論やその他諸々の宇宙論を視野に入れ、
独自に解釈し、時に曲解し、世界を構築したうえで文字を紡ぐことにしたのでした。
 
さて、その世界の設定についてですが、
詳細を語ると文章量がとんでもないことになってしまうので、
誤解を恐れずにさっくりと説明します。

[個]即ち[全]、つまり[梵我一如]は、超弦理論によって説明され、
すべてのモノ・コト・人の存在ですら、原因と結果が存在するだけ(カルマ、因果律)の単なる事象(情報)であることが導き出され、
[梵我一如]の適用は人間の認識し得る宇宙にとどまらず、
多元宇宙論よろしくマクロないしミクロにまで際限無く広がっている。
……といった考え方が原理として採用された世界になっています。

▼ずいぶん簡略化しましたが、図で表すとこうなります。



また、この世界に生きる生命は本能的に情報を収集するように出来ています。
知的好奇心に歯止めが効かないのは、世を形作る原理が経験を求めるからです。
それゆえに細胞は、人は、国家は、地球は、宇宙は、さらに外側の宇宙さえも、経験を収集するために生きるのです。

この世界では輪廻は終わりません。永遠に外へ外へ続く梵我一如です。即ち本当の意味での解脱はあり得ません。まさに「終わりなき苦しみ」です。
 
そのような世界設定のうえで、この『Everlasting Burden』はいったい何を歌っているのか、というところですが。

臨死体験であの世がどうなっているのかを知った、という話をよく聞きます。
神の思し召しだ、単純に脳が幻覚を見せているだけだ、などさまざま言われますが、
ここでは量子脳理論のペンローズ・ハメロフアプローチを用いて、量子もつれの作用により人体の意識(個我、即ちウパニシャッド哲学でいうところのアートマン)が宇宙(宇宙我、即ちブラフマン)にアクセスしている、と考えます。
シーンとしてはこれを切り取ったものになります。
 
主人公が現世に絶望し、自殺を試みるもままならず、夢現を彷徨う[旅人]となるところから物語は始まります。
この旅人の独白は、曲中ではLutoが歌っています。

サイエンス・フィクションでよく語られるところに[マザー]という概念があります。
「すべての命の生みの親」だったり、中央管理システムだったりしますが、
大抵この文脈で語られる[マザー]は、
容赦無く絶対的で、愛(=NOT慈愛)に満ち、判断基準が独善的で、時に我が子らに洗脳を施し、愛を押し付けるものです。
またこの[マザー]は、各種の宗教で崇拝される[マリア]と性質を同じくすることも多くあります。
『Everlasting Burden』では、旅人の夢現の中という場面設定もあって、この哲学的な世界設定に対して、サイエンス・フィクションとしては逆説的ですが、やや神話的・宗教的なアプローチを試みました。
そのアプローチとしてマザーシステムを用い、ブラフマンを擬人化し、梵我一如・カルマ・輪廻と使命を歌っています。
このマザーのパートはCaloが歌う部分です。

マザーは、死の淵を彷徨い続ける旅人にこの世の理を見せます。
旅人にはまだ収集すべき経験が残されていたため、マザーは旅人に旅人自身の使命を見せたのです。
「いつか帰還するその時までは、生きてあらゆる事象を学べ。さすれば、大いなる目的は果たされる」と。

旅人は現世に戻され、目覚めれば病院の白い天井。
世の理を知ったところで、憂鬱な日常は変わらず。
しかしながら、「なんだ、そんなことか」とも思え、
周囲の無用な争いや妬み、日常の些細な幸せや己の未熟さを瞰ながら、
いつか終わる今生での使命を耐え抜く一生を始めるのでした。

この「そんなことか」が即ち[悟り]であり、
この旅人は涅槃への道をまっすぐ歩み始めたということになります。

"It being the inside of dawn,
our truth will repeat itself on the lawn."

僕がこの曲に書き記した物語の結末は、イントロで歌われるこの一文に集約されます。

結末とはいえ、終わらない。終われないのです。

平和であって欲しい。
あいつが疎ましい。
生命はみな平等に尊重されるべきだ。
自分さえ良ければ他はどうだっていい。
永遠の安寧を享受したい。
そんな思いや願いを持てど、
無情にも生きて死ぬプロセスが繰り返されてゆくこと、ただそれだけが、この世界でたったひとつ確かな現象、縁起です。

その母の纏う召物が揺れただけで惑う我々には、
母を観測すること、即ち、生を学びアカシックレコードに記すことで功徳を積む以外に、世界を波立たせる手段は無い。

我々はそんな世界で、どう生きたいのか、どう生きるべきか。そして、どう逝くのか。

救いようがない、といえばそうなのですが、
そこにこの物語、世界の真理の哀なるを感じていただければ、
作詞者冥利に尽きる、といったところです。
 

『Everlasting Burden』――「終わりなき苦しみ」、転じて、「輪廻」。
この曲を皮切りに、僕たちの物語は始まった。
 
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この『Everlasting Burden』は、僕たちArtøgic Geminiが結成してから一番最初に書き、リリースした曲です。

僕たちをひとくちで体現するような印象の曲にするため、Lutoが得意とする、どこか懐かしく切ないメロディとシンセ、Caloが慣れ親しんだEDM要素を含む曲調に、文芸と科学の融合ともいえるサイエンス・フィクションの壮大な世界観を歌詞として織り込みました。

サイエンス・フィクションという側面もあり、専門用語満載で非常に理解し難い世界設定なのですが、今回はその断片を、歌詞の意味とともにご紹介しようと思います。
 
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僕たちが生きるこの世界は、どのようにして生まれ、どんな原理で存在し、そして僕たち自身は、何故生きているのか。

僕は幼少の頃から取り憑かれているこの疑問に、常日頃から何らかの答えを見出そうとしていました。
つまり[万物の理論]を求めてあらゆる文献を漁り、浅学ながら思考実験や独自研究を行ってきたわけですが、その過程で生まれたのが、『Everlasting Burden』乃至ほかの楽曲の物語が編まれる舞台となった世界です。
特に『Everlasting Burden』には、この世界の軸となる要素を入れ込んで、まさしく僕たちを代表する楽曲となるように仕上げました。
 
『Everlasting Burden』は[輪廻]と意訳します。

輪廻の英直訳は"reincarnation(a cycle of reincarnation)"ですが、"reincarnation"からは[輪廻]のインド哲学的な意味である「繰り返される苦しみ」「解脱への旅路」のニュアンスが感じられませんでした。

そのため、直訳よりもインド哲学における輪廻のニュアンスの方を尊重してタイトルを付けた次第です。
 
[インド哲学]というと堅苦しい気がしますが、我々日本人に一番馴染みがあるのは仏教ではないでしょうか。
日本の仏教は元を辿ればインド哲学です。
インド哲学を内包する[ヴェーダ]から成立した、神々や祭式を重視する物語的・形而上的なバラモン教などの宗教に対し、反旗を翻したのが当時のインド仏教、日本で言われるところの[原始仏教]でした。
原始仏教は、インド哲学をベースとしながらも、神話に靡かず、どのようにすれば苦しみである[輪廻]から解脱できるのか、といった、形而下的な、机上の空論ではない実践的手法を説いたとされています。
今日の日本の仏教は、原始仏教が紆余曲折を経るなかで改変されたものが輸入され、更に日本風にアレンジされたものです。

僕は「もっともらしい世界のシステム」を構築し、その上に物語を描きたかった。
それゆえ、[世の理]を扱いながらも、ファンタジー或いは胡散臭いモチーフを避けつつ実存のものとして[輪廻]を表すため、神話を忌避した原始仏教を出発点に、物理学のひとつである量子論的観点を取り込み、超弦理論やその他諸々の宇宙論を視野に入れ、独自に解釈し、時に曲解し、世界を構築したうえで文字を紡ぐことにしたのでした。
 
さて、その世界の設定についてですが、詳細を語ると文章量がとんでもないことになってしまうので、誤解を恐れずにさっくりと説明します。

[個]即ち[全]、つまり[梵我一如]は、超弦理論によって説明され、すべてのモノ・コト・人の存在ですら、原因と結果が存在するだけ(カルマ、因果律)の単なる事象(情報)であることが導き出され、[梵我一如]の適用は人間の認識し得る宇宙にとどまらず、多元宇宙論よろしくマクロないしミクロにまで際限無く広がっている。
……といった考え方が原理として採用された世界になっています。

▼ずいぶん簡略化しましたが、図で表すとこうなります。



また、この世界に生きる生命は本能的に情報を収集するように出来ています。
知的好奇心に歯止めが効かないのは、世を形作る原理が経験を求めるからです。
それゆえに細胞は、人は、国家は、地球は、宇宙は、さらに外側の宇宙さえも、経験を収集するために生きるのです。

この世界では輪廻は終わりません。永遠に外へ外へ続く梵我一如です。即ち本当の意味での解脱はあり得ません。まさに「終わりなき苦しみ」です。
 
そのような世界設定のうえで、この『Everlasting Burden』はいったい何を歌っているのか、というところですが。

臨死体験であの世がどうなっているのかを知った、という話をよく聞きます。
神の思し召しだ、単純に脳が幻覚を見せているだけだ、などさまざま言われますが、 ここでは量子脳理論のペンローズ・ハメロフアプローチを用いて、量子もつれの作用により人体の意識(個我、即ちウパニシャッド哲学でいうところのアートマン)が宇宙(宇宙我、即ちブラフマン)にアクセスしている、と考えます。
シーンとしてはこれを切り取ったものになります。
 
主人公が現世に絶望し、自殺を試みるもままならず、夢現を彷徨う[旅人]となるところから物語は始まります。
この旅人の独白は、曲中ではLutoが歌っています。

サイエンス・フィクションでよく語られるところに[マザー]という概念があります。
「すべての命の生みの親」だったり、中央管理システムだったりしますが、 大抵この文脈で語られる[マザー]は、 容赦無く絶対的で、愛(=NOT慈愛)に満ち、判断基準が独善的で、時に我が子らに洗脳を施し、愛を押し付けるものです。
またこの[マザー]は、各種の宗教で崇拝される[マリア]と性質を同じくすることも多くあります。
『Everlasting Burden』では、旅人の夢現の中という場面設定もあって、この哲学的な世界設定に対して、サイエンス・フィクションとしては逆説的ですが、やや神話的・宗教的なアプローチを試みました。
そのアプローチとしてマザーシステムを用い、ブラフマンを擬人化し、梵我一如・カルマ・輪廻と使命を歌っています。
このマザーのパートはCaloが歌う部分です。

マザーは、死の淵を彷徨い続ける旅人にこの世の理を見せます。
旅人にはまだ収集すべき経験が残されていたため、マザーは旅人に旅人自身の使命を見せたのです。
「いつか帰還するその時までは、生きてあらゆる事象を学べ。さすれば、大いなる目的は果たされる」と。

旅人は現世に戻され、目覚めれば病院の白い天井。
世の理を知ったところで、憂鬱な日常は変わらず。
しかしながら、「なんだ、そんなことか」とも思え、 周囲の無用な争いや妬み、日常の些細な幸せや己の未熟さを瞰ながら、 いつか終わる今生での使命を耐え抜く一生を始めるのでした。

この「そんなことか」が即ち[悟り]であり、 この旅人は涅槃への道をまっすぐ歩み始めたということになります。

"It being the inside of dawn,
our truth will repeat itself on the lawn."

僕がこの曲に書き記した物語の結末は、イントロで歌われるこの一文に集約されます。

結末とはいえ、終わらない。終われないのです。

平和であって欲しい。
あいつが疎ましい。
生命はみな平等に尊重されるべきだ。
自分さえ良ければ他はどうだっていい。
永遠の安寧を享受したい。
そんな思いや願いを持てど、 無情にも生きて死ぬプロセスが繰り返されてゆくこと、ただそれだけが、この世界でたったひとつ確かな現象、縁起です。

その母の纏う召物が揺れただけで惑う我々には、 母を観測すること、即ち、生を学びアカシックレコードに記すことで功徳を積む以外に、世界を波立たせる手段は無い。

我々はそんな世界で、どう生きたいのか、どう生きるべきか。そして、どう逝くのか。

救いようがない、といえばそうなのですが、 そこにこの物語、世界の真理の哀なるを感じていただければ、 作詞者冥利に尽きる、といったところです。
 


【Calo】ゴシック・ミクスチャー・ユニット Artøgic Gemini の Key.&Vo. ゴシックをベースに、ロック、メタル、クラシック、EDM、民族音楽など様々なジャンルのエッセンスを掛け合わせたスタイル。歌詞は、幻想と現実の錯綜する世界感や死生観や、祈りを込めたメッセージをロジカルに組み立てている。Luto (Gt.&Vo.) と活動中。

Artøgic Gemini [Store]
・Everlasting Burden
・Requiem o Wédesta
・Cry for Nemesis